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風間八宏体制の4年半は川崎フロンターレに何をもたらしたのか?

 

「一番は、もちろん90分間ボールを持ち続けて選手が楽しんでやること。堂々と自信を持って、ボールを持つサッカーをしていって欲しい。そのなかで選手たちの発想が出てくる」

これは2012年4月23日の監督就任会見時に「監督のやりたい理想のサッカーは?」と問われた際に語っていた言葉だ。当時はあまりピンとこなかったと記憶しているが、この4年半を振り返ると、風間八宏がこのクラブで表現しようと取り組み続けたサッカーは、まるでブレなかったと言っていい。

就任した日の最初の練習で選手に伝えたことは、「ボールを失わないこと」だった。

「ボールを持つサッカーで勝つ」という信念をチームに植え付けるために、練習は足元の技術に特化したボールメニューが中心。速いパスを味方の足元に届けるためには、ボールをより強く蹴る必要があり、練習からインサイドキックを多用させた。その結果、内転筋に張りや違和感が出て離脱する選手が続出し、メンバーを揃えるのが精一杯だった時期もあったほどだ。だがこうした頑固なこだわりを貫き、「ボールを握って勝つスタイル」を選手の意識に徐々に浸透させていった。

チーム作りのアプローチも独特だった。それは「組織を作ることで個を活かす」のではなく、「個を活かすことで組織にする」というもの。風間監督の言葉を借りれば、「個人が戦術になること」である。

なぜ一般的なチーム作りとは真逆とも言える方法をとったのか。それは自身の現役時代の経験によるものが大きいという。Jリーグ開幕時、サンフレッチェ広島でキャプテンをとつめていた本人は、当時の指揮官であるバクスター監督にこう言われていた。

「チームのために力をセーブしてくれ」

理由は風間八宏が100%の全力を出すと、味方がついてこられなくなり、チームのバランスが崩れてしまうからだった。そのため、試合では50%の力におさえたプレーを心掛けていた。自分が半分の力でプレーすると、組織として機能して試合に勝てたためである。

50%の力でプレーすることに葛藤がなかったわけではないものの、プロとしてそこは割り切っていた。そして広島は1994年にステージ優勝。自分で納得した上で半分の力でプレーし、それが結果にも結びついたことで不満はなかったという。バクスター監督が帰国する際には「コーチみたいなことをさせてしまって悪かった。でも、お前のおかげで助かったよ」と感謝されている。

しかし同時に、もし自分にマラドーナほどの圧倒的な実力があれば、「チームのために我慢しろ」という指示は監督からされないという思いも抱えていた。マラドーナは個人が戦術になっていたからである。そういった現役時代の経験から、「もし自分が指導者になったら、全員が100%の力でプレーできるチームを作ろう」と決意したのだという。

実際、就任当初には主将・中村憲剛にこんな言葉をかけている。

「今までチームのため50%の力でしかやっていないと思うけど、そんなことは考えなくていい。お前が100%でやって、それに合わせたチームを作るから」

そう伝えたのは、日本代表である中村がチームのために、自分を抑えてプレーしていたように映ったからである。

「チームが何か枠を作っていたのか。それとも彼が殻を作ったのか。どちらかはわからないですけど、憲剛自身はとてつもない能力があるのに、チームのことばかり見ていた。チームのことを気にしていたのか、自分で自分を規制しているように見えた」

心当たりがあったのだろう。これを言われた中村憲剛は喜びで震えたという。そしてチームではなく、自分自身と向き合いながら、足元の技術をさらに磨き始めた。その結果、翌年の2013年にはトップ下で得点を量産し続けるなど30代になっても躍動し、2014年からはボランチとして「ボールを握るサッカー」を体現。昨シーズンは全Jリーガの中で唯一パス総数3000本を越えるなど、圧倒的ともいえる数値を叩き出した。今シーズンはトップ下での出場機会を増やし、リーグ戦で9得点を記録。その高いパフォーマンスから、35歳ながらハリルジャパンのバックアップメンバーに選出されたほどだった。

同じく「個人が戦術になること」に成功した存在が、2013年に神戸から移籍してきた大久保嘉人だろう。川崎Fに移籍してからの活躍は言うまでもない。Jリーグ3年連続得点王という、ストライカーとしての新記録を達成。今年は佐藤寿人を抜いて、J1歴代得点数を更新した。大久保もまた、中村同様に規制を取っ払ったチームの中で、個の能力を開花させた代表格だ。

ベテランだけではない。小林悠大島僚太といった生え抜きと言える中堅や若手、筑波大時代の教え子でもある谷口彰悟車屋紳太郎らも個の能力を開花させて、著しく成長を遂げている。これだけ個の能力を伸ばした戦い方ができるのは、風間監督の手腕といっていいだろう。

© Goal.com 提供

もっとも、こうしたチーム作りには問題点もあった。

個人で戦術になることができる主力が絶好調のときには素晴らしいサッカーを展開できる反面、ベストに近いメンバーが揃わないと機能しなくなるという難しさがあったからだ。例年、シーズン当初は、スタイルに適応していない新加入選手がチームに入ると、途端にテンポやバランスが悪くなり、機能不全を起こしてしまうことも珍しくなかった。上位に食い込むことはあっても、チームとしての安定感を保てなかった原因もそこにあった。

そして迎えた2016年シーズン。4年半の風間体制の集大成となった今季は、守備組織の構築にも本格的に着手。韓国代表のGKチョン・ソンリョンセンターバックのエドゥアルド、ボランチのエドゥアルド・ネットといった個の能力の高い選手が加わったこともあり、失点が激減。風間監督もメンタリティーの部分をミーティングで強調するなど、これまでになく「勝つこと」にこだわった。選手たちは自信を持って戦い、悪い流れの時間帯も守備陣が我慢することで、攻撃陣が得点を奪って勝つ戦い方ができるようになっていった。

そういう粘り強さが劇的な勝利も呼び、連敗は一度もなし。積み上げた年間勝ち点は72。クラブ史上最高となる記録であり、06年の浦和、07年の鹿島、10年の名古屋、11年の柏が優勝したときと同じ勝ち点だった。しかし浦和の74には及ばず年間2位。さらに鹿島とのチャンピオンシップ準決勝に0-1で敗れて、3位という結果で終えている。

チームに何が足りなかったのか。

鹿島戦後の田坂祐介は「チームの総合力は上がってきていると思います。でも、こういう大一番で結果を出せなかった」と肩を落とした。1stステージ・アビスパ福岡戦、2ndステージ・ガンバ大阪戦、そしてこのCS鹿島戦と、勝たなくてはいけない重要な一戦で勝ち切れなかったのが最後に響いた。変則的なレギュレーションだったとはいえ、克服していかなくてはいけないものだ。

風間監督の退任はすでに決まっているが、チームはまだ天皇杯を勝ち残っている。最大で、あと3試合。指揮官が4年半をかけて頑固に植え付けた「どう勝つか」という姿勢を、最後まで見届けたい。

文=いしかわごう

 

何だかんだ川崎での風間サッカーは面白かった。

 

 

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