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松本山雅・飯田真輝が辿った成長の軌跡。“都落ち”からの飛躍。

 

 

「ああ、イイちゃんね。ガンダム飯田」

 松本山雅FCの練習拠点、美ケ原温泉の一角にあるかりがねサッカー場。9月下旬、初めてここを訪れた私は、カメラを首からぶら下げ、周辺を歩き回っていた。

 静かな場所だ。遠くに望むのは北アルプスの山々。野鳥の鳴き声が辺りに響く。

 メディア用のビブスを着ていたせいだろう。おっちゃんに呼び止められた。「どなたですか?」と。私は、飯田真輝に話を聞きに来たのだと話した。

「ああ、イイちゃんね。ガンダム飯田」

 おっちゃんは満足そうに言って、立ち去った。いまのはなんだったんだろう。あちこちのクラブの練習場に出入りしてきたが、そんなふうに話しかけられるのは初めてだった。

 がっしりした体つきに由来する、ガンダムの愛称。どうやらそれは松本山雅でも健在らしい。飯田にインタビューした際、私はその話を持ち出した。

「たぶん、あの人だな。ふだん見ない顔がいると、すぐに話しかける。どうもね、相手のことを確認したいみたいで。悪気は全然ないんですよ」

 飯田は可笑しそうに話した。ただそれだけのことなのだが、飯田と松本山雅の関係性、ここで築き上げてきたもの、サポーターとの距離感が伝わってきた。

 2010シーズンの途中、飯田は東京ヴェルディから松本に移籍した。敢えて言う。都落ち同然だった。その頃から松本山雅はやたらとアツいサポーターに支えられるクラブと一部で知られていたが、当時は地域リーグからJFLに昇格したばかり。ぽっと出にも満たない、ただし豊かな可能性を示すクラブのひとつに過ぎなかった。

パフォーマンスを高める、他者からの信頼

 松本は大きく翼を広げ、躍進した。JFLからJ2、そして2015年にはついにJ1へ。ステップアップするごとに、ホームスタジアムのアルウィンは迫力を増していく。いまや松本市のシンボルに挙げられ、近年の日本サッカーで際立つ成功例のひとつとなった。

 飛躍的に発展し、存在感を増していく松本山雅。飯田はその中心にいた。持ち前の空中戦の強さ、パワフルなディフェンスに磨きをかけ、がっしりした身体にみるみるうちに中身が詰まってきた。

「やるしかなかったんです。マツさん(松田直樹、2011年8月4日逝去)から受けた影響は大きいですね。不幸な出来事があり、J2に行くぞと焚きつけていた人がいなくなった。誰よりもサッカーがしたくて、戦いたかったのに戦えなくなった人がいる。サポーターの期待は大きく、結果を出さなければいけない。がんばるしかなかった」(飯田)

 人は、他者から信用され、頼られることでパフォーマンスを最大化すると言われる。飯田を最終ラインの軸として動かさず、腕章を託した反町康治監督のマネジメントの巧妙さがここにあるのだろう。

 

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松本山雅・飯田真輝が辿った成長の軌跡。“都落ち”からの飛躍。PO敗退も物語は第二章へ【The Turning Point】 (フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース

 

 

飯田選手はJ1で見たいんですけど、どこかに移籍しないですかねえ。